日本航空123便墜落事故で乗客乗員520人が亡くなり、40年が経った8月12日夜、墜落現場となった群馬県多野郡上野村の追悼施設「慰霊の園」で、40周年追悼慰霊式が開かれた。

慰霊の園で献花し深々と頭を下げるJALの鳥取社長=25年8月12日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire
式典後、報道機関の取材に応じた日本航空(JAL/JL、9201)の鳥取三津子社長は、「40年だからではなく、50年たっても、100年たっても、安全が大前提だ」と、改めて安全を第一とする経営を進めていく考えを示した。
鳥取社長は、事故が起きた1985年4月に客室乗務員として東亜国内航空(TDA、のちにJAS、現JAL)に入社。JALでは客室安全推進部の部長など主に安全畑を歩み、客室本部長などを経て、2024年4月からJALの社長を務めている。
12日昼に時折雨が強まる中、御巣鷹山の山頂付近にある「昇魂之碑」を訪れ、慰霊の園で開かれた慰霊式では深々と頭を下げて献花した。

御巣鷹山の「昇魂之碑」に線香を手向けるJALの鳥取社長(左)と雨天のため傘を持つ御巣鷹山管理人の黒沢さん=25年8月12日午前11時57分 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire
JALは社員への安全教育の一つとして、『現地・現物・現人(げんにん)』を進めてきた。鳥取社長は「現地と現物はそのまま残っていくが、現人は(事故を実際に経験して)お話される方も段々減っていくと思う。(事故を経験した人が語った)これまでのものはアーカイブとして残っているので、教育の中でしっかり聞いてもらうことを続けていかなければいけない」と語った。
事故後31年の2016年の時点で、すでに9割を超える社員が事故後の入社となっていた。次の50年の節目を迎える2035年には、経営陣も多くの従業員も、事故後に入社した人となる中、鳥取社長は、事故について社外の人に説明するガイド役を若手社員に早い段階で経験してもらうなどの取り組みを進めつつも、「それだけでは十分ではないと思う」と述べ、「事故を実際に知る社員がいなくなっても、(安全に対する考え方は)変わることはない」と強調。事故の風化を防ぐ施策を、引き続き考えていくという。
今年4月に開かれた入社式後、鳥取社長は「私自身も御巣鷹山の事故の時に入社した、ほぼ最後の人間になると思う」と述べ、今後は事故当時に入社した人、航空業界にいた人が現役の役員や従業員の中で減っていくことに対し、「見るだけとか、語るだけでは、なかなか伝わらないと思う。そこに行って肌で感じたり、実際に経験した方からお話を伺うことで、少しでも近づけるような環境を必ず継続していくことが非常に重要。責任を持って続けていきたい」と決意を述べている。

JL123便墜落時刻の午後6時56分に参列者が黙とうを捧げ犠牲者数と同じ520本のろうそくがともされた慰霊の園=25年8月12日午後6時56分 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

慰霊の園で取材に応じるJALの鳥取社長=25年8月12日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire
一方で、JALは安全上のトラブルが相次いだことから、2024年5月に国土交通省が行政指導にあたる「厳重注意」を行ったが、同じ年の12月にはパイロットの飲酒によるトラブルが発生し、国交省から行政指導の「業務改善勧告」を受けた。今年に入ると、2月5日にはシアトル・タコマ国際空港でボーイング787-9型機(登録記号JA868J)の右主翼が駐機中の他社機に接触する事故が起きており、安全が重大な課題になっている。
鳥取社長は「再発防止策を出してもモニタリングが不足していた」として、事故を未然に防ぐ対策を強化するだけではなく、再発防止策の進め方も見直していると説明した。
慰霊式は午後6時から開かれ、JALからは鳥取社長のほか、赤坂祐二会長や青木紀将副社長、安全推進本部長、ご被災者相談室長、安全統括管理者を務め、安全を統括する中川由起夫常務らが参列した。遺族や関係者などの参列者数は昨年より70人多い228人で、このうち遺族関係者は132人だった。
1985年8月12日午後6時56分に墜落した羽田発伊丹行きJL123便(ボーイング747SR-100型機、JA8119)には、乗客509人と乗員15人の524人が乗っていた。式典では犠牲者の数と同じ520本のろうそくに火がともされ、墜落時刻の午後6時56分を迎えると、参列者が黙祷(もくとう)をささげた。
12日に御巣鷹山を慰霊登山した遺族は82家族283人で、昨年より14家族53人多かった。過去最多となった事故後30年にあたる2015年の106家族406人からは24家族123人減少した。2番目は20年にあたる2005年の103家族405人、3番目は33回忌の節目となった2017年の97家族359人だった。

献花する慰霊の園理事長の黒澤八郎・上野村村長=25年8月12日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

慰霊の園で献花する遺族=25年8月12日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

慰霊の園で献花する遺族=25年8月12日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

慰霊の園で献花する遺族=25年8月12日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

慰霊の園で献花する水嶋智国土交通事務次官=25年8月12日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

慰霊の園で遺族に一礼するJALの鳥取社長=25年8月12日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

慰霊の園で献花するJALの赤坂会長=25年8月12日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

慰霊の園で献花するJALの赤坂会長(奥)と鳥取社長=25年8月12日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

慰霊の園で献花するJALの青木副社長と安全を統括する中川常務ら=25年8月12日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

慰霊の園でろうそくをともす遺族=25年8月12日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

慰霊の園でろうそくをともす遺族=25年8月12日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

慰霊の園でろうそくをともす遺族=25年8月12日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

慰霊の園でろうそくをともした遺族=25年8月12日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

慰霊の園で最後のろうそくをともす黒澤理事長=25年8月12日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

JL123便墜落時刻の午後6時56分に黙とうするJALの赤坂会長、鳥取社長ら=25年8月12日午後6時56分 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

犠牲者の数と同じ520本のろうそくに火がともされた慰霊の園=25年8月12日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

犠牲者の数と同じ520本のろうそくに火がともされた慰霊の園=25年8月12日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire
今年の御巣鷹山
・JAL鳥取社長、雨の御巣鷹山で献花 日航機事故40年(25年8月12日)
FAAがボーイングの手順逸脱修理を指摘
・日航機事故40年、FAAが逸脱修理指摘 ボーイング作業で強度低下(25年8月12日)
入社式後の発言
・JAL鳥取社長「私も事故当時最後の人間」御巣鷹山40年、風化防止へ「現地・現物・現人」(25年4月2日)
2022-24年
・日航機事故39年 鳥取社長が御巣鷹山で献花(24年8月12日)
・JAL鳥取社長「人の人生を狂わせてしまった責任感じた」慰霊の園で39周年追悼慰霊式(24年8月12日)
・日航機事故から38年、76家族272人が御巣鷹山登る 追悼式は4年ぶり遺族参列(23年8月12日)
・JAL赤坂社長「御巣鷹山の教訓引き出すことが重要」日航機事故37年追悼式(22年8月13日)
・日航機事故から37年、慰霊登山の出足はコロナ後最多(22年8月12日)
事故30年の2015年
・高齢化する遺族 より訪れやすい御巣鷹山を(15年8月13日)
・慰霊の園で追悼慰霊式 村長「風化防ぎ、次世代につなぐ」(15年8月13日)
・日航機墜落から30年 植木社長、安全誓う「いかなる妥協、言い訳通用しない」(15年8月12日)
・「初心に帰る日に」8・12連絡会の文集『茜雲 日航機御巣鷹山墜落事故遺族の30年』(15年8月11日)
