エアライン, 解説・コラム — 2020年1月15日 14:30 JST

「元日深夜の空港に来てくれるのか?」特集・ANA初日の出フライト生みの親に聞く20周年

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 お正月と言えば、初日の出フライトが近年は恒例行事のひとつになった。今回は令和になって最初の初日の出とあり、例年以上に注目された。しかし、今では当たり前になった初日の出フライトも、誰かが初めて実現させて、利用者に受け入れられたものだ。

 日本人にとって特別な意味を持つ初日の出や富士山。最初に初日の出フライトを実施したのは全日本空輸(ANA/NH)で、21世紀最初の年である2001年にスタートし、今年で20回目を迎えた。「社員有志が企画し、当初はその年だけの予定でしたが20周年を迎えました」と、ANAの平子裕志社長は初日の出フライトの乗客に語りかけた。

第1回初日の出フライトの搭乗証明書を手にするANAの皆川さん=PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

 ANAの第1回初日の出フライトに携わったのは、現在はCEマネジメント室商品企画部に所属する皆川里佳マネージャーだ。当時は収入や予算を管理する部署におり、そこにはチャーター便の調整を手掛ける人たちもいた。

 今では当たり前のことも、誰もやったことがない中で、皆川さんはどのように初日の出フライトを実現させたのだろうか。「12月後半は泣きながら準備していました」と笑う皆川さんに話を聞いた。

—記事の概要—
元日深夜、本当に乗ってくれるのか
飛行ルートやサービスは第1回で確立
「うちが20周年でも、お客様には1回です」

元日深夜、本当に乗ってくれるのか

 「超割」100万人突破記念「21世紀初日の出飛行」を運航──。2000年11月24日にANAが出したプレスリリースは、このような見出しだった。バーゲン型運賃「超割」の利用者100万人突破を記念したイベントという立て付けで、2001年に第1回目の初日の出フライトが実施されたのだ。羽田空港から2便、関西空港から1便が出発し、富士山の近くで御来光を拝むもので、飛行ルートやおせち料理の弁当が出るといった、現在の初日の出フライトの原型がこの時すでに完成していた。

ANAの初日の出フライトNH2020便から見た初日の出と富士山=20年1月1日午前6時57分 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

 超割は2000年4月搭乗分から販売された国内線全路線全便1万円の運賃で、第1回初日の出フライトも1人1万円で販売。売上の一部にあたる100万円を日本赤十字に寄付した。「21世紀に向けて何か面白いことはできないかと企画したもので、業務の延長線上でチャーター便を考えました。運賃は超割が100万人突破というタイミングだったので、初日の出も1万円にしました」と、皆川さんは話す。

 前年の2000年は区切りのよい年ではあったものの、航空業界もいわゆる「2000年問題」の対応に追われ、お正月に大々的なイベントを実施できる状況ではなかったことも、2001年に実施された要素のひとつだという。

 初日の出フライトという特別なフライトで1万円と聞くと格安に思えるが、本当に乗る人がいるのかは当日まで不安だったという。当時の羽田は深夜に国際線が行き交う今とは異なり、深夜に空港へ向かうことが一般的ではなかった。それだけではない。「元旦は日本人にとって特別で、家族と過ごす方が多いですよね。本当に朝3時、4時という集合時間に空港へ来て、乗っていただけるのかと、疑心暗鬼でした」という。

 しかし、ふたを開けてみればすぐに満席。ターミナルを運営する日本空港ビルデング(9706)や乗り入れる東京モノレールに協力してもらい、開館時間を早めたり、臨時列車を運行してもらえるよう調整した。

年末2週間が勝負

 ところが、これまで誰もやったことがない初日の出フライトとあって、社内調整を進めても、なかなかOKが出ないこともあったそうだ。夏の繁忙期が過ぎた2000年秋ごろから企画がスタート。初日の出フライト当日はさまざまな部署の社員がかかわるが、企画を進める担当者は皆川さんひとりだ。上司や同僚のサポートがあるとはいえ、社内外の調整は基本的にひとりでこなさなければならない。

第1回初日の出フライトを手掛けたANAの皆川さん=PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

 「元日にやる以上、年末の2週間に一気にきます。クリスマス前後は毎日残業で、泣きながら準備していました」と、複雑な調整がまとまってやってきた当時を振り返る。とにかく元日に飛ばせなければ意味がないのだ。そして、初日の出フライトは出発地に戻ってくるが、当時はまだ発着地が同じ遊覧飛行の運航はANAでは少なかったという。

 どういう形で監督する国土交通省航空局(JCAB)に書類を提出するかや、運賃をどう設定するか、チャーター便として運航するため契約元をどうするかと、難題が山積みだった。結果的にANAの旅行商品を扱う全日空スカイホリデー(現ANAセールス)と旅行計画(2012年3月営業終了)が契約元になった。当時はインターネット販売もなく、電話予約のみだった。

 そして、当時のプレスリリースを見ると、出発は午前5時30分ごろ、飛行時間は約2時間程度と書いてはあるが、何時に戻ってくるのかは書いていない。「実は空港の発着枠が本当に取れるのかが、はっきりしていなかったんです」と皆川さんは明かす。事前の調整で運航できる目星はついたものの、チャーター便が使用できる発着枠は運航1カ月前にならないと確定しない。このため、フライトを申し込んだ人には、運航スケジュールが確定してから改めて連絡することにしたという。

飛行ルートやサービスは第1回で確立

 発着時間だけでなく、飛行ルートも重要だ。第1回は羽田から21世紀号(ボーイング777-300型機)と、2001年号(777-200)の2便、関空から新世紀号(767-300)が飛ぶことになった。

 「やれることが限られてくるんです。富士山付近の初日の出時刻は、だいたい6時45分くらいで、羽田は早朝深夜枠で出発する必要があります。そして到着枠も厳しいです。フライトタイムは2時間弱くらいで、枠の時間には戻らなければならないですからね」。羽田発着の場合、飛行機は羽田を午前5時30分すぎに出発して、富士山周辺に午前6時40分より前には到着している必要があり、御来光を拝んだ後は午前8時ごろには羽田へ戻る必要がある。

ANAの初日の出フライトNH2020便の飛行ルート=20年1月1日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

羽田58番搭乗口からANAの初日の出フライトに搭乗する乗客=20年1月1日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

 そこで静岡県上空の天竜川ポイントを通り、富士山周辺を3機が高度を少しずつ変えて飛ぶことにした。富士山に近づきすぎると上昇気流が発生するため、第1回から現在に至るまで、ほぼ同じルートを飛んでいるという。今年は午前5時37分に羽田を出発し、長野県駒ヶ根市の南アルプス付近上空1万3000フィート(約3960メートル)を旋回。日の出予定時刻の午前6時44分ごろから初日の出と初富士の鑑賞を始め、午前7時53分に羽田へ戻った。

 機内サービスも、第1回目からほぼ同じだ。飛行時間が限られるだけではなく、初日の出の時間ともなれば、左右の窓から見えるように旋回するため、御来光が見える側に移動する乗客も多いはず。そうした機内ではドリンクサービスが限界だと、企画段階で判断した。

 「機内サービスができるのは1時間程度です。機内ではサービスを極力控え、出発時にお弁当や記念品といった、お渡しできるものは渡してしまうことにしました」と、皆川さんは話す。このオペレーションはANAだけではなく、どこの航空会社もほぼ同じようなやり方だ。

 そして、座席の販売にも気を遣った。当時のANAで777-300はジャンボの愛称で親しまれた747-400と並んで窓側席が多かった。「予約画面だと窓がないと表示されても、実機では窓があるケースもあります。機材を実際に見に行き、販売できる席を確認しました」と、皆川さんはすべて自分の目で確認し、判断していった。

「うちが20周年でも、お客様には1回です」

 発着枠や公共交通機関の問題だけでなく、そもそも元日の深夜に日本人が空港へ来るのかと疑心暗鬼だった皆川さんだが、無事当日を迎えることができた。搭乗券も工夫を凝らし、「2001年号」とフライト名も印字した粋なものだった。しかし、当時の発券機では簡単にできないはず。皆川さんに聞くと、「システム担当者に作ってもらいました。テスト券扱いにして、ゲートでは機械で乗客数をカウントせず、スタッフが数えました」と、細部にもこだわった。

搭乗者の写真と搭乗券が貼れるように作られた第1回初日の出フライトの搭乗証明書。写真は皆川さんのもの=PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

 この搭乗券と搭乗証明書に、インスタントカメラで撮った写真を乗客にプレゼントし、台紙に貼って保存できるようにした。「撮影係の社員を決めて何人か乗ってもらいました。撮影するエリアも決めて、あちこちで撮りながらお客様に渡していました」と、人海戦術で短時間に撮影していった。このフライトには、皆川さんが所属する部署の部長に1月1日付で着任した片野坂真哉氏(現ANAホールディングス社長)も乗っており、皆川さんは元日早々着任した上司と機内であいさつしたという。

 皆川さんに、なぜ富士山で初日の出を鑑賞することにしたのかを聞いてみた。「日本人には鉄板ですよね(笑)。伊豆半島で海上をまわるなどいくつか考えたのですが、周遊するならやはり富士山じゃないかと決まりました」と、日本人の心には、富士山が響くようだ。

 手探りで始めた初日の出フライトだったが、乗客からは会社に対して感謝の手紙も寄せられ、皆川さんは自宅で大切に保管していた。「報われたと思う瞬間でした。お客様にとって特別な体験になるとうれしいですね」と喜ぶ。

第1回初日の出フライトの乗客から送られた写真と手紙=PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

 前例もなくハードルだらけだった初日の出フライトも、20周年を迎えた。しかし、「翌年もやるなんて、当時は全然考えていませんでした」と、21世紀最初のお正月イベントで終わるはずだったが、利用者からは要望が寄せられたという。

 「たぶんやめられるタイミングはどこかであったのだと思います。それでも記念日にしたい、機内でプロポーズしたいというご要望があったり、毎年楽しみにしている方もいらっしゃいます」と、2001年から途切れることなく続いている。

 次の30周年に向けての思いを「うちが20周年、30周年といっても、お客様には1回です。記憶に残るものになればいいですね」と皆川さんは話す。「宇宙に行くとか、空飛ぶクルマとか、時代が変わっても残っていくものだったらいいですね」。

 日本のお正月の恒例行事として、初日の出と富士山を拝む縁起もののフライトは、これからも愛され続けるだろう。

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全日本空輸

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