エアライン — 2015年11月30日 15:50 JST

ターキッシュエア、30年前テヘラン救出便の特別塗装機 映画公開記念で

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 ターキッシュエアラインズ(旧称トルコ航空、THY/TK)は11月30日、映画『海難1890』の公開を記念した特別塗装機「KUSHIMOTO号」(エアバスA330-200型機、登録番号TC-JNC)の到着記念式典を成田空港で開催した。30年前にイランのテヘランから日本人を救出した当時の機体デザインで、救出した便の当時の客室乗務員(CA)と救出された日本人が対面した。

成田空港に到着したターキッシュエアラインズの特別塗装機「KUSHIMOTO号」(同社提供)

 KUSHIMOTO号はイスタンブール発成田行きのTK50便に投入され、午前8時55分に成田に到着した。

 同便からは、日本人を救出した便に乗務していたCAのアイシェ・オザルプさんと副操縦士のコライ・ギョクベルクさんが日本とトルコの旗を振って降り立った。オザルプさんとギョクベルクさんは、当時、テヘランに取り残された沼田凖一さんと高星輝次さんと対面。日本側からトルコキキョウの花束が贈られた。

 沼田さんはスピーチで、当時どこの国の航空機にも乗せてもらうことができず、テヘランに取り残され絶望の淵に立たされたと振り返り、「トルコは私たちの命の恩人。感謝しても感謝しきれない」と謝意を表した。

 KUSHIMOTO号は今後、イスタンブール-関西線のTK46/47便に投入する。

 KUSHIMOTO号の名前は、紀伊半島の先端、和歌山・串本町に由来する。1890年、串本沖(当時の樫野崎沖)で座礁したトルコ(当時のオスマン帝国)の軍艦「エルトゥールル号」の乗組員を、村民が助けた。乗組員は650人以上で、69人が救助された。

 生存者69人は、日本の戦艦「金剛」と「比叡」でオスマン帝国へ送還。翌1891年、紀伊大島にエルトゥールル号犠牲者の墓碑が建立された。このエピソードはトルコ国内で小学校の教科書に取り上げられている。

 イラン・イラク戦争(1980-88年)最中の1985年、テヘランに取り残された日本人を、ターキッシュエアラインズ(当時のトルコ航空)が救出。イラクのサダム・フセイン大統領(当時)がイランを爆撃し、同国上空を航空禁止区域に指定した。

 テヘランの空港には1000人以上の外国人が集まり、脱出を待っていた。当時、各国の航空会社は自国民の輸送を優先し、日本人の搭乗を断っていた。トルコ航空は在イラン日本大使やイラン政府らと協力し、テヘランに救援機を送り、日本人215人を救出した。救援機は旧ダグラス(現ボーイング)DC-10型機を使用した。

 映画『海難1890』は、両国間に起きたこれらの史実をもとに制作した映画で、12月5日に公開。両国の合作で、日本からは内野聖陽さんや竹中直人さん、笹野高史さんらが出演し、トルコからはケナン・エジェさんやアリジャン・ユジェソイさんらが出演する。

到着記念式典でKUSHIMOTO号と収まる関係者ら(ターキッシュエアラインズ提供)

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Turkish Airlines
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