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日航機事故40年、当時生まれていない大学生は御巣鷹山で何を感じたか 当紙インターン生が見た「現地・現物・現人」

 乗客乗員520人が亡くなった日本航空123便墜落事故から40年。節目の年とあって、事故に関する多くの報道が見られたことは、読者の皆さんの記憶に新しいところだろう。

 事故から30年をすぎた時点で、すでに日本航空(JAL/JL、9201)の社員の9割以上が事故後の入社となり、事故を語り継いでいくこともこれからの課題だ。2012年2月に創刊した当紙は、事故30年の2015年から現地取材を続けているが、今年は当紙のインターンシップ(航空)に参加している大学生、齋藤瑞喜さんが同行を願い出たことから、事故当時は中学1年生だった私(当紙編集長・吉川)と2人で現地へ向かった。

 JALは「現地・現物・現人(げんにん)」を安全教育の柱としている。当時生まれていなかった齋藤さんは、御巣鷹山と追悼慰霊式が開かれた上野村の「慰霊の園」で何を感じたのか。本人に記事を書いてもらった。

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 8月のお盆休みは、航空会社にとってかき入れ時にあたる。今年は休み前の座席予約状況こそ前年ほど芳しくなかったが、18日に発表された実際の搭乗実績は、国内線・国際線ともに前年同期を上回る好調な結果となった。長かったコロナ禍が過ぎ、航空需要は着実に回復をみせているといえる。

御巣鷹山の「昇魂之碑」に線香を手向けるJALの鳥取社長(左)と雨天のため傘を持つ御巣鷹山管理人の黒沢完一さん=25年8月12日 PHOTO: Mizuki SAITO/Aviation Wire

 そうした賑わいの一方で、お盆休みは日本の航空安全にとって重要な時期でもある。乗員乗客合わせて520名の尊い命が失われた日本航空123便墜落事故は、1985年8月12日に発生し、今年で40年を迎えた。墜落地点となった御巣鷹山へ慰霊登山に向かう遺族の方々も年を追うごとに減少し、当時航空業界に携わっていた人々も定年を迎えつつある中、この事故が伝える交通安全への祈りは、実際に学ぶことを通して次世代に伝えられようとしている。

 8月12日、墜落現場となった群馬県多野郡上野村は、あいにくの雨に見舞われた。慰霊碑までの登山道は、ところどころ手すりや階段こそ整備されているものの、足元がぬかるみ、滑りやすくなっている所もあった。

 足を進めていくと、すれ違う方々から「こんにちは」「お先にどうぞ」といった声をかけられ、自分もつられて積極的に声を掛けながら進んでいた。この登山道では目指す場所は皆同じ、慰霊碑や祈りの場所であり、「同じような事故を繰り返してはならない」という志も、また同じだったと感じた。同じ山に、声を掛け合いながら登るという行為を通して、そうした一体感を感じながら足を進めた。

 123便が墜落した「御巣鷹の尾根」は、青々とした木々が生い茂り、小さな沢や大きな岩もある険しい自然の中にある。事故当時、悲惨な光景が広がった墜落現場は、いまでは40年の時を経て自然に覆われはじめており、年月の経過とともに事故が風化しつつある現状を考えさせられる。

 40年の歳月が流れた中、日本の航空業界はこの事故の教訓をどうやって次の世代に受け継いでいくべきか。JALの鳥取三津子社長は「現地・現物・現人」という言葉を用いた社内教育を説明する。記録やデータだけでは伝わらないものが「御巣鷹の尾根」にはあり、数々の慰霊碑は今でも事故の痛ましさを伝えている。遺族や関係者の方々の体験は、講演会などを通して語られている。これらを自分の身をもって見る・聴くことが、この事故を知らない人々にも、事故を風化させずに航空安全を伝える重要な一歩となっている。

追悼慰霊式が開かれた上野村「慰霊の園」=25年8月12日 PHOTO: Mizuki SAITO/Aviation Wire

 私は本紙のインターンシップに4月から参加している。事故の時には生まれておらず、当時をまったく知らない自分にとっては時の隔たりがあり、日本でこのような悲惨な事故があったのだということは、記録として知っていても実感は薄かった。

 しかし、御巣鷹山で目にした光景や、追悼式が開かれた「慰霊の園」横の展示施設に置かれたぬいぐるみの遺品を見て、事故が奪ったものの尊さと重みが、身に沁みて伝わってきた。これも「現地」を訪れないと、わからなかったことの一つだろう。コロナ後の現在は、制限されていた旅行や留学などの需要が徐々に回復し、オンラインではできなかった体験が戻ってきているが、こうした人々の移動は安全の上に成り立つものであり、疎かにしてはならない。最近、航空事故や鉄道のインシデントが耳目に触れる機会が多くなったが、今こそ過去の出来事から現在の安全を見つめなおす経験が必要だと感じた。

【インターンシップについて】
当紙では、報道機関(記者・写真記者)に関心のある方を対象に2013年から、航空産業に関心のある方を対象に2024年から、それぞれインターンシップを開催しています。 インターン生の御巣鷹山登山は初めてです。

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上野村 [3]

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