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JAL鳥取社長、雨の御巣鷹山で献花 日航機事故40年

 乗客乗員520人が亡くなった日本航空123便墜落事故から、8月12日で40年が経った。12日は、墜落現場となった群馬県多野郡上野村の御巣鷹山を多くの遺族や関係者らが早朝から訪れた。

御巣鷹山の「昇魂之碑」に線香を手向けるJALの鳥取社長(左)と雨天のため傘を持つ御巣鷹山管理人の黒沢さん=25年8月12日午前11時57分 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

 JALによると12日午前11時の時点で、昨年の同時刻よりも9家族36人多い76家族264人の遺族が御巣鷹山を訪れた。これまでの過去最多は事故後30年の2015年で、午後4時の時点で106家族406人だった。

 鳥取三津子社長は午前11時57分すぎ、時折雨脚が強くなる中、山頂付近にある標高1539メートル地点の「昇魂之碑」を訪れ、御巣鷹山の2代目管理人、黒沢完一さんにあいさつして献花し、線香をたむけた。

 鳥取社長は、事故が起きた1985年4月に客室乗務員として東亜国内航空(TDA、のちにJAS、現JAL)に入社。JALの成田第2客室乗員部部長や客室安全推進部部長、客室本部長を歴任し、2022年4月に常務執行役員 客室本部長、2023年4月から専務執行役員、同年6月からは代表権のある専務務執行役員を務め、2024年4月から社長を務めている。

 今年4月の入社式後、鳥取社長は「私自身も御巣鷹山の事故の時に入社した、ほぼ最後の(世代の)人間になると思う」と述べ、実感を持って知るのはなかなか難しいが、これまで取り組んできた『現地・現物・現人(げんにん)』を継続していくことが非常に重要だ」と語った。

日航機墜落事故で亡くなった瀧井千合子さんの慰霊碑(中央)=25年8月12日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

10年前の事故30年の節目には柴田百合子さんの姉で奥村さんの祖母にあたる故・奥村寿々子さんも事故で亡くなった瀧井千合子さんの慰霊碑を訪れた=15年8月12日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

 娘の瀧井千合子さん(享年21)を事故で亡くした大阪府吹田市の柴田百合子さん(88)は、親族の奥村厚徳(あつのり)さん一家と慰霊登山に訪れた。柴田さんによると、一時は簡易モノレールを山に設置する話が出たものの、遺族が訪れる時期が限られることなどから、やがて立ち消えになったという。

 午後6時からは、上野村にある慰霊の園で追悼慰霊式が開かれる。JALからは鳥取社長のほか、赤坂会長や青木紀将副社長らが参列する。

 1985年8月12日午後6時56分に墜落した羽田発伊丹行きJL123便(ボーイング747SR-100型機、登録記号JA8119)には、乗客509人と乗員15人の524人が乗っていた。

御巣鷹山の「昇魂之碑」に向かうJALの鳥取社長=25年8月12日午前11時56分 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

御巣鷹山の「昇魂之碑」に向かうJALの鳥取社長=25年8月12日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

御巣鷹山の「昇魂之碑」に一礼するJALの鳥取社長=25年8月12日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

御巣鷹山の「昇魂之碑」を訪れるJALの鳥取社長=25年8月12日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

御巣鷹山の「昇魂之碑」に手を合わせる慰霊登山に訪れた人たち=25年8月12日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

御巣鷹山を下山する事故で娘の瀧井千合子さんを亡くした柴田百合子さん(先頭)と親族の奥村厚徳さん一家=25年8月12日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

御巣鷹山を下山する事故で娘の瀧井千合子さんを亡くした柴田百合子さん(先頭)と親族の奥村厚徳さん一家=25年8月12日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

御巣鷹山を下山する事故で娘の瀧井千合子さんを亡くした柴田百合子さん(先頭)と親族の奥村厚徳さん一家=25年8月12日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

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