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「小さな成功体験が人を育てる」ANA井上社長が振り返るピーチでの経験

 「ANAが西に行くと言ったら、ピーチは東へ行く」。いまから11年前の2015年3月、ANAホールディングス(ANAHD、9202)傘下のLCC(低コスト航空会社)、ピーチ・アビエーション(APJ/MM)は就航3周年を迎え、当時CEO(最高経営責任者)だった井上慎一氏は、当紙にこう語った。創業から新型コロナの影響が出始めた2020年3月まで、ピーチのトップを務めた井上氏はその後、全日本空輸(ANA/NH)に営業部門を統括する専務として戻り、2022年4月からきょう3月31日までANAの社長を務めた。

社長交代会見に出席するANAの井上慎一社長=26月3月2日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

 井上社長は、三菱重工業(7011)に1982年4月に入社し、ANAには1990年9月入社。2008年1月からアジア戦略室室長、2010年12月からLCC共同事業準備室室長を歴任し、ピーチでは前身となるA&Fアビエーション(11年5月24日にピーチ・アビエーションに社名変更)が創業した2011年2月からCEOを務めた。

 「大阪のおばちゃんに、ディズニーランドに日帰りで行きたいと言われた」。ピーチが初の首都圏乗り入れとなる関西-成田線を2013年に開設した際、井上氏はこう話していた。“大阪のおばちゃん”の要望を受け、ディズニーランド日帰りを念頭に運航スケジュールを組んだ。

 今月2日に開かれたANAの社長交代会見で、井上社長はピーチで学んだ「制約の中で知恵を出す」経営が、コロナにより大きな影響を受けたANAグループの経営でも生きたと振り返った。

 井上社長は、ピーチ時代を「非常に多くの制約の中でどうやっていくのか、どう知恵を出していくか、どう社員を牽引していくか、どうステークホルダーの期待に応えるかという日々だった」と回想。その経験を通じ、「制約が多いことで知恵が出ることがわかってきた」と述べ、「お金がなくても知恵が出る。それでうまく経営していけると思う」と語った。

ANA専務だった2020年に、成田空港でA380チャーターフライト出発前にあいさつする井上氏=20年8月22日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

 ANAの社長に就いた2022年当時は、コロナの影響が長期化し、先行きが見通せない状況だった。井上社長は、この経営環境がピーチ時代の「制約だらけ」の状況と重なったと振り返り、「知恵は出るだろうということで、いろんな施策をやった」という。

 その一つが、ANAグループの社内新規事業提案制度「がっつり広場」だった。井上社長によると、元々はANAに専務として戻った際、営業本部を対象に始めたが、その後全社から提案が寄せられた。「これはいける、と思った瞬間だった」と振り返り、ピーチでの経験が生きた具体例の一つに挙げた。

 「もっと追い込んじゃったわけですよ。予算はない、前例はない、と。そうしたら、若い人が勝手に乗り越えてやっちゃった」と、満足げに笑みを見せた。厳しい条件が、かえって現場の知恵と行動を引き出したという。

 井上社長は、こうしたピンチをチャンスととらえる動きを「小さな成功体験が人を育てる」と、人材育成にもつながったとみる。制約の多い環境下でも、社員が自ら考えて動き、小さな成功を重ねることの重要性を強調した。

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