1985年8月12日に群馬県の御巣鷹山へ墜落し、乗客乗員520人が死亡した日本航空123便墜落事故から40年。FAA(米国連邦航空局)がまとめた報告書では、事故原因となったのは、事故の7年以上前に行われた後部与圧隔壁の不適切な修理だった。ボーイングが事故の7年以上前、正規の手順から逸脱した方法で修理した結果、後部与圧隔壁の疲労強度が設計値の約70%に低下し、隔壁が壊れる原因になったとしている。
*きょう8月12日の御巣鷹山の様子はこちら [1]。
日航機墜落事故から40年。FAAも報告書を公開している(同報告書から)
FAAが2023年7月18日に公開した報告書によると、事故の原因は後部与圧隔壁の破裂、およびそれに伴う後部胴体や垂直尾翼、4系統すべての油圧ラインの破損により、主要な操縦機能が失われたことだった。機体の姿勢制御が不可能となり、パイロットは推力操作により操縦を試みたが、飛行経路を維持できず墜落に至った。
—記事の概要—
・逸脱修理で強度低下
・短くなった隔壁寿命
・事故後ADを複数発行
・重要性増す前兆を捉える仕組み
逸脱修理で強度低下
破裂を引き起こした与圧隔壁には、1978年6月2日に伊丹空港で起きた着陸時のテールストライク事故を受け、ボーイングのAOG(Airplane-On-Ground)チームによる修理が施されていた。
正しい修理方法と実際の修理方法の比較図(FAAの報告書から)
この修理では、後部胴体の主要部分と後部与圧隔壁の下半分、テール圧力解放ドアが交換・修復された。ところが、隔壁に設けられた一部のリベット列について、リベットの縁取りが不十分であることが判明し、上下の隔壁をつなぐスプライスプレート(継ぎ板)を追加する再設計が行われた。
本来は1枚のスプライスプレートを使い、2列のリベットで荷重を分散させる設計だったが、複雑な曲面構造のために取り付けが難航。最終的な対応策として、承認された取り付け手順から逸脱