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「飛行機1機飛ばすって大変なんや」 特集・ピーチ社員から見た就航5周年(終)客室乗務員、坂口優子の場合

 3月で就航5周年を迎えてからも、誰もやっていないことにこだわるピーチ。国内の航空会社では初となる、ビットコイン導入を5月22日に発表すると同時に、スポンサー契約を結んでいる沖縄の卓球チーム「琉球アスティーダ」に台湾出身の江宏傑(ジャン・ホンジェ)選手が入団したことを明らかにした。ピーチの井上慎一CEO(最高経営責任者)は、「卓球を観光コンテンツにしたい」と、スポーツツーリズムによる地域活性化を模索する。

 国内初のLCCとなったピーチが就航した当初、関西空港は閑古鳥が鳴き、ピーチが本拠地としたことを懐疑的に見る目も少なくなかった。そして、人件費や着陸料といった運航コストが高い日本で、ピーチは就航から3期目となる2014年3月期に単年度黒字を達成し、累損も目標としていた5期目の2016年3月期に解消した。

 今でこそ、関西の優良企業と言えるポジションを築きつつあるが、最初から成功が約束されていたわけでは、もちろんない。ピーチが成功した要因のひとつは、就航当時から支えてきた社員の力が大きいと言って過言ではないだろう。

関西空港内のオフィスでピーチポーズを取る坂口優子さん=17年3月1日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

 本特集では、就航当時からピーチに在籍するさまざまな職種の社員に、入社に至ったきっかけや、5年間の仕事を振り返ってもらっている。最終回となる第5回目は、運航本部客室部客室乗務課の客室乗務アシスタントマネージャー、坂口優子。就航直前の2012年1月に入社し、現在はオフィスで客室乗務員のマネジメントをしながら、乗務もしている。

 「飛行機、一度しか乗ったことがなかったんですよ」と笑う坂口は、なぜ就航していない航空会社を選んだのだろうか。(文中敬称略)

—記事の概要—
たばこ屋の看板娘募集「私ちゃう?」
心こもってへん「大丈夫ですか?」
助け合う同期
他人のミスも自分に原因?
訓練と営業便「全然違う」
ワンフロアが社員の結束強める
意見言える職場が安全につながる

*特集第1回:「格納庫って何ですか?」から始まった [1]
*特集第2回:「お金と時間かかるFAXって何?」 [2]
*特集第3回:「一等航空整備士はスタートライン」 [3]
*特集第4回:「A320で編隊飛行できるのはピーチだけ」 [4]

たばこ屋の看板娘募集「私ちゃう?」

初便就航前に開かれた式典のステージに並ぶピーチの客室乗務員。井上CEOはたばこ屋の看板娘のような人を求めた=12年3月1日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

 坂口の同期「桃3」は22人。1期生70人の中でも入社日の違いで、「桃1」から「桃4」まで4つに分かれている。入社から5年もたつと、すでに辞めてしまった人もいるが、今でも連絡を取り合う仲だ。そして客室乗務員からほかの部署へ移ったり、復職した人もいるが、桃3の中で客室乗務員を続けているのは、坂口ひとりとなった。

 「最初のころは今と違って、マニュアルも十分ではありませんでした。こんなペラッペラの紙をめくりながら訓練してました。訓練は大変だったんですが、自分がやろうと思って入社したので、辞めたいと思ったことはなかったです」と、就航前の訓練を振り返る。

 坂口がピーチに入ろうと思ったきっかけは、テレビを見ていた母親の何気ない一言だった。

 「母親がたまたまニュースで、井上CEOが道頓堀でうちわを配っているのを見て、『CAなったら?』と茶化したんです。立ち上げですごい楽しそうやな、と思ったんですよ。“たばこ屋の看板娘”みたいな人にCAになって欲しいと言っていたので、『私ちゃう?』って思って応募しました」と笑う。

 「当時は銭湯で番台のアルバイトをしてました。CAになりたいと思ったのではなくて、ピーチのCAだったらやってみたいなと思ったんです」と話す坂口は、入社試験を受けるまで、飛行機には一度しか乗ったことがなく、「まったく飛行機に縁のない生活でした」という。

心こもってへん「大丈夫ですか?」

沖縄への修学旅行のフライトは良い思い出がなかったという坂口さんは、ピーチの機内は和気あいあいとしたものにしようと心掛けてきた=17年2月 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

 一度しか乗ったことがない飛行機は高校の修学旅行で、沖縄線だった。この時の経験がピーチのCAになった際、坂口の価値観に大きな影響を与えた。

 「その時に1回タービュランス(乱気流)で飛行機が揺れてガーンと下がって、自分が持っていたオレンジジュースがバーッと上に飛んで、ベチャーっとかかって、そこから飛行機はすっごい怖いというイメージでした」と、散々なものだった。

 「CAさんも怖いし、(ツンケンした言い方で)『大丈夫ですか』という感じで、(ジュースがかかって)ベットベトやのに『大丈夫です……』と答えるのが精いっぱい。揺れるし、緊張するし、怖いしで、あまりいい思い出はありませんでした」。そして高校生ながらに、こう思った。

 「大丈夫ですかって、心こもってへんやろ!」

助け合う同期

就航5周年の朝、関西空港にずらりと並ぶピーチのA320。就航前に入社した坂口さんはANA便で訓練を重ねた=17年3月1日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

 飛行機が怖いという坂口の話を聞き、同期の仲間たちは心配した。就航前から訓練が始まった坂口たちは、まだ自社便が飛んでいないので全日本空輸(ANA/NH)の便で訓練施設のある東京へ向かった。

 しかし、いざ離陸となると、あの修学旅行を思い出す。突然大きく揺れ、ジュースがかかり、怖いCAとのやりとりが頭をよぎる。

 「離陸の時に“ポーン”と音が鳴ると、『こんなん毎日乗るんか!』となって、同期からは『大丈夫? こんなんで訓練大丈夫?』と心配されて、『大丈夫やと思う……』と答えていました」と笑う。

 そして、飛行機とは無縁の世界から入社した坂口は、同期の中では少数派だった。「私以外のほとんどの人は、航空系の仕事をしていたり、地上係員をやっていたり、ずっとCAになりたかったという人たち。“はーいろっ”という感じで入社した人はあまりいませんでした」と振り返る。

 当然ながら、飛行機に関する知識もなかった。ピーチが運航する機材は、エアバスのA320型機。訓練で乗務するANAの機材は、主にボーイングの機材だった。

 「A320って何? ボーイングって何? という状態でした。一度しか飛行機に乗ったことがないので、国際線の機内で入国書類を書くことすら知らなかったです」と、入社して初めて知ることばかりだ。

 訓練では、修学旅行でジュースをこぼしたタービュランスどころではない経験を積まなければならない。ピーチが求める“たばこ屋の看板娘みたいな人”も、緊急事態になれば乗客の命を守る立場だ。飛行機を怖がっていた坂口だが、訓練を辞めたいと思うことはなかった。

 「自分がやろうと思った仕事だったのと、同期の存在も大きかったですね。22歳で入社して、何度か助けられ、今もよく集まるんです。何かあったらみんなで助け合います」と話す坂口は、ふと会社をこう評した。

 「ピーチって人ですよね。人に恵まれたなぁと思います」

他人のミスも自分に原因?

訓練からコミュニケーション能力の大切さを学んだという坂口さんは、新人時代の訓練がフライトの基礎を築いたという=17年1月 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

 今でも助け合う坂口と同期の仲間たち。就航前の訓練は、東京に1カ月半こもって行った。訓練施設だけではなく、宿泊するホテルの部屋でも、ドアを飛行機のドアに見立て、実機のドアにあるレバーも紙を貼ってイメージトレーニングできるようにして、ドア操作の自主練習を毎晩繰り返した。

 「訓練は一人が落ちたら連帯責任なんです。一人が落ちて、もう一度同じ訓練ができるかというと、そうではありません。お客様役など、まわりの協力がないと再審査はできないんです。何をするにも、“助け合うことからコミュニケーション能力を育てよ”、というのが訓練の狙いだったと思います」と、会社側の意図を察する。

 「自分だけよければいい、自分だけ審査に合格すればいい、ということはなかったです。コミュニケーション能力の大切さを学びました。ピーチの客室乗務員は4人1組で飛びますが、同期との助けたり、助けてもらったりした経験は、役に立っていると思います」と振り返り、新人時代の訓練がフライトの基礎になったという。

 「となりのCAがミスをしたら、自分にもミスをした原因があったのではないか、怖い雰囲気で接していたのではないか、と考えるようになりました」と、実際のフライトでは、訓練で得た経験がつながっている。

訓練と営業便「全然違う」

ピーチの初便となった札幌行きMM101便。坂口さんも数日後に乗務した=12年3月1日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

 地上での訓練を終えると、ANAの営業便で訓練を行った。就航前のため、実機による訓練が自社便ではできないためだ。当時は濃紺だった制服を着たANAの客室乗務員に混じり、坂口は深い赤とピンクの中間色「フーシア」の制服を着用して、訓練生のバッジを付けて訓練に挑んだ。

 1カ月半の地上訓練を終え、訓練生として乗務するのは、ANAの羽田発着便。最初は客室乗務員の資格取得のため、A320と同じ単通路機のボーイング737型機などに乗務して訓練を受けた。資格取得後は、ANAの客室乗務員の仕事ぶりを見て学ぶオブザーバーとして、中型機や大型機にも同乗し、乗客の手荷物の上げ下ろしも手伝った。

 当時は就航前なので、大阪でも知名度はあまり高くない。東京となれば、なおのことピーチは知られていなかった。

 「紺のシュッとした制服の中に、一人だけピンクなんです。訓練生のバッジを付けていても、お客様から『一番偉いんか?』『なんでそんな色なんや?』と声を掛けられました」と、複雑な気持ちで訓練生として乗務を続けた。それ故、自社便に初めて乗った際は、いろいろな思いが脳裏をよぎった。

 2012年3月1日。国内初のLCCとしてピーチが就航した。客室乗務員は70人いたが、就航時は関西-札幌線と福岡線の2路線のみ。初日の坂口のアサインは地上業務で、乗客のチェックイン手続きなどを関空で手伝っていた。そして数日後、初めて自社の営業便に乗務した。

 「なんとも言えないものがありましたね。私だけではなく、色々な人たちが頑張って、やっと就航するんや、こんなに飛行機を1機飛ばすのは大変なんやと思って、責任をすごく感じました。もし私が何かをしてしまったら、ピーチの印象になるわけで、地上での訓練とお客様が乗っている営業便は、全然違うなと思いました」と、会社の顔となる客室乗務員の責任の重さを感じた。

ワンフロアが社員の結束強める

 5年前、就航当時は70人だったピーチの客室乗務員は、3月1日の時点で約370人と、5倍以上に増えた。坂口の仕事も、今では客室乗務員のマネジメントが中心だ。制服に袖を通すのは、月に数えるほどになった。

井上CEO(右から2人目)らと就航5周年イベントに立った坂口さん(左)。ワンフロアの今のオフィスは社員の結束を強めているという=17年3月1日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

 ピーチは現在、関空にワンフロアのオフィスを構える。パイロットや客室乗務員、整備士、間接部門などの社員が一堂に会する場だ。坂口は、「たまに制服を着てオフィスにいると、『コスプレか?』と社員から声を掛けられます」と笑う。「ワンフロアが社員の結束を強めるんですよ」と、こうした気軽に声を掛け合える社内の雰囲気がいいなと感じている。

 マネジメントの仕事を通してみても、ピーチは5年で規模が大きくなったことを感じている。「CAが増えたので、昔の管理方法では管理しきれないので、変えていっています。昔は会社ができたばかりで仕方なかったところも、5年もたてば環境を整えてあげないといけない。品質を上げていかなければならないので、やることが増えます」と話す。「大変なのは今も変わらないですが、成長し続けていると感じますね」と、楽しげだ。

 そして、5年間で作り上げてきた機内の雰囲気も、坂口が修学旅行で感じた重苦しいものとは違うものになった。

 ある日、機内食を販売していた坂口が釣り銭を切らした際、買おうとした乗客と機内で初めて乗り合わせた乗客が、「食べたいんやろ?」と両替をかってでるなど、客室乗務員と乗客だけではなく、乗客同士も自然とつながっていく雰囲気になっているという。

 「CAが話しかけやすい雰囲気を作るよう、意識していると思います。それを、お客様に感じ取っていただけているのかもしれないですね」と分析する。

意見言える職場が安全につながる

 和気あいあいとした機内の雰囲気は、安全にもつながるというのが坂口の持論だ。

 「無駄話ができない雰囲気は、先輩が間違ったことをした時に、言えない雰囲気を作り出します。先輩でも、後輩でも、意見を言える職場は、結局は安全につながります。『あっ、それあぶないですよ』とか、『あっ、それちょっと間違ってません?』と、ちょっと気づいた時に言えるか、言えないかは、大きく関わってくるのではないかと思います」と真剣なまなざしで話す。

「意見を言える職場が安全につながる」と語るピーチの坂口さん=17年3月1日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

 安全ではどこの航空会社にも負けない、と胸を張る坂口。しかし、客室乗務員を育てる立場になった際、「人生最大」と表現するピンチに遭う。

 「いろんなことをさせてくれる職場で、人に教えるスキルを向上させる訓練や、人前で話す訓練も受けました」という坂口だったが、他人に物事を教えるのは初めて。最初はうまく教えることができずに悩んだ。

 そして、同期や先輩、上司はこう教えてくれたという。「自分の言いたいことばかり言っていたんです。『人の話を純粋に聞くのよ』『自分だけ話すんじゃないのよ』と指摘されました」と振り返り、時間は掛かったものの、教えるコツをつかんだ。

 就航から5年が過ぎ、ピーチに乗ったことで、ピーチの客室乗務員を目指し、入社試験を受けに来る人も増えたという。「活気があるのがピーチのCA。まとめるのは大変だけど、ひとり一人が意見を言える環境を提供しないといけないですね」と意気込む。

 坂口は今、ひとり一人の客室乗務員の成長に合わせたマネジメント手法を考えているという。

 「ダメということに対して、何をもってこれがダメなのかを、ひとり一人が考えて、自分で行動できるようになる必要があるんじゃないかと思います」と、自発的に考えて行動できることを、これからの課題と捉えている。

 閑古鳥が鳴く関空に就航して5年。誰もが成功に疑問符を付けたピーチを支えたのは、自ら考えて行動する社員たちだった。就航10年に向けて成長を続けていくには、こうした価値観が不可欠というのが、坂口の考えるCA像のようだ。

 いつまでも大企業病にかからず、常に創業時の精神を持ち続けることが、持続的な成長のカギと言えるのではないだろうか。

(おわり)

関連リンク
ピーチ・アビエーション [5]

特集・ピーチ社員から見た就航5周年(全5回)
(1)「格納庫って何ですか?」から始まった ブランドマネジメント・中西理恵の場合 [1](17年3月14日)
(2)「お金と時間かかるFAXって何?」 システムストラテジスト、坂本崇の場合 [2](17年3月17日)
(3)「一等航空整備士はスタートライン」 新卒1期の整備士、和田尚子の場合 [3](17年4月10日)
(4)「A320で編隊飛行できるのはピーチだけ」 元アクロバット操縦士、横山真隆の場合 [4](17年5月9日)

特集・ピーチ井上CEO就航5周年インタビュー
前編 「プロ集団じゃないとLCCは成立しない」 [6](17年3月6日)
後編 「ピーチ変わるな、もっと行け!」 [7](17年3月8日)

就航5周年
井上CEO「アジアで勝てるのはピーチだけ」 ANAHD子会社化、独自性に磨き [8](17年3月2日)
ピーチ、就航5周年迎える CAが記念品プレゼント [9](17年3月1日)
ANAホールディングス、ピーチを子会社化 片野坂社長「独自性維持する」 [10](17年2月24日)
ピーチ初便、定員下回る162人乗せ出発 “コンビニ”のように認知されるか [11](12年3月1日)